tanoshiku-ikiyou’s blog

子供3人母子家庭の筆者が経験した事、感じた事や、依存症克服について綴っています。

はじめに

はじめまして。

このブログに足を運んでいただき、ありがとうございます。

 

ブログ初心者ですので、お粗末なブログになっているかと思いますが、すみません。

 

まず記事を書く前に、簡単に私のプロフィール、経歴や経験した事などを簡単に書いていきたいと思います。

 

 

私は1984年に一家の次女として生まれます。

父、母、姉、自分の4人家族です。

性格はとーーーーっても物静か、いや、根暗?でした。

その根暗は、記憶のある3歳ころから高校卒業まで続くのですが…。

いや、厳密にいうと最近まで根は暗かったかも。

 

ずっと一言も喋らず、休み時間も椅子に座り、下を向いて過ごす子供でした。

友達と仲良くしたいのに、仲良くなる方法がわからなかったのです。

常に緊張していました。

 

高校は、中学から一緒の子はクラスにはいなかったので、思い切って変わろうと、まずは見た目の地味さをなくそうと、今風?に変化させました。

そうすることでクラスメイトは話しかけてくれるようになりました。

そして、アルバイトもできるか不安でしたがやっと受かったバイト先で、みんなと仲良くすることができました。

そして高校時代は彼氏のオンパレードでした(笑)

私は顔も性格も地味で暗いので、その自信のなさを隠すため、モテるため、全く違うキャラを演じたプラス、一重の目を整形しました。

彼氏が途切れることがなかったのは、そのためです。

そう、自信がないから常に誰かに愛されていたいのです。

 

実は、旦那選びもその『誰かに愛されたい』一心で、好きといってくれる人を選んでいたのでしょう。

 

高校を卒業し、スーパーに社員として就職。

その後1年半後に、就職したての頃から付き合っていた彼氏(元旦那)とできちゃった婚

 

双子を妊娠&入籍。

新婚旅行も結婚式も妊娠中に済ませ、出産する頃に仕事を退職し、育児に専念。

双子2歳2か月の頃、3人目誕生。

このころは人生でトップ3に入るくらいに大変だったと思う。

 

そしてその1年後、保険の外交員に就職。

外交員をしながら空き時間で内職もし、プラス育児も大忙し。

外交員が向いていなかったため、次はパートで清掃の仕事をチョイス。

その後家を建て、双子が小学校にあがるタイミングで引っ越し。

 

しかし、その後1年で離婚。

子供には申し訳ない気持ちでいっぱいだが、当時の私は旦那への気持ちが限界をこえていた。

育児を面倒くさがってやらない、ギャンブルで金欠、いつも自分の部屋で趣味三昧。それなのに夫婦の行為だけはしたがる、それにまじめに対応しなければと私も無理をしていた。

子供への暴言や暴力が今まであり、特に暴言がひどく、子供の自己肯定感へのこれ以上の影響を考え、離婚を選択して今ではよかったと思っています。

 

そして、双子小学二年生、末っ子保育園年中からの新たな母子家庭生活スタート。

まずパートでは稼げないので、就活。

確か5社目くらいで受かったと思ったが、次は社員で全国に営業所がある大きめの会社の営業。

ここで結構人生観が大きく変わった。

 

社内での成績は中の上くらい。

時には上位3位に入ったこともあった。

結構頑張った。

母子家庭だからって貧乏は嫌だ、と必死だった。

 

同時に恋愛もしていた…というより、子供の新しいお父さん候補との関係構築をしていたのだが、それがうまくいかず、仕事もかなりのストレスだったため、失恋&うつ病、そして数か月後に退職。

 

3年半の営業マン時代は、うつ病のため終了。

そして休息をしてから約1年。

 

この1年間で色々人生を振り返った。

何が原因でこんな人生を歩んだのか。

 

この休息期間で、自分と子供に発達障害があったこと、そしてそれが原因で過去に恋愛依存になったり、コミュニケーションが極端に苦手だったり、自己肯定感が低かったりということがあったんだなぁとわかりました。

 

これからの記事では、自分に自信がない人へ向けた私なりの伝えたい事、母子家庭お役立ち情報、親子関係について、などをメインとしてアップしていきます。

離婚後の恋愛で、ダメンズに振り回された過去もあり、そこから学んだことも記事として今後アップしていきます。

 

よかったら覗いてみてください。

宜しくお願いいたします。